- 尾瀬沼ビジターセンターブログ
- 2021.05.27
2021年5月27日-尾瀬沼ビジターセンターより(人影なく、雨に語りて過ごす)
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尾瀬への入山にあたってはこちらの注意事項をご確認ください。
尾瀬ではまだ営業を開始していない施設や閉鎖している施設があります。
お出かけの際には各施設の営業予定や閉鎖予定の確認をお願い致します。
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■天気:雨のち曇り
■気温:8.4℃(9時)13.9℃(昨日の最高気温)7.9℃(今日の最低気温)
ブログをご覧の皆様こんにちは。
今日は静かに朝から雨が降っております。
ようやく雪が溶け始めて春が来たと喜んでいましたが、
あっという間に梅雨の季節が近づいているような空模様です。
大江湿原と釜ッ堀湿原もようやくミズバショウの見頃を迎えましたが、
以前のように楽しげに行き交う人の声もなく、
ただ静かな雨とひときわ響くホトトギスの声が胸を打ちます。
ほととぎす 雲ゐのよそにすぎぬなり はれぬ思ひの五月雨の比
(ほととぎすが、雲の彼方に鳴いて過ぎて行くのが聞こえる。
晴れ晴れしない思いに閉ざされている五月雨の頃に。)
新古今和歌集 巻第三 夏歌で詠われた太上天皇(後鳥羽院)の歌を思い出します。
源平争乱で有名な1221年の承久の乱の13年前に鎌倉幕府の武家政治から
朝廷側に取戻そうという重大な政治の悩みを抱えていた際に歌われたものです。
この歌のように新型コロナウィルスの影響で
当たり前だった生活ががらりと変わってしまい、
窮屈で憂いの多き日常を重ね合わせてしまいます。
しかし、幸いにも尾瀬の自然だけは変わらずにそこにある
ということに心が癒やされます。
この大江湿原にはあまり知られていませんが、
様々な時代の偉人が訪れ多くの歴史や伝説が残されています。
そのひとつに「尾瀬の由来」という話があります。
1180年の秋、平清盛が後白河法皇を幽閉したことを源頼政が怒り、
後白河法皇の息子・高倉院以仁王を押し立てて兵を挙げました。
しかし、「宇治川の戦い」で破れ、兵を挙げた頼政は自害、生き残った以仁王は
越後に住む頼之を頼って家来13人を連れて尾瀬沼へ逃げ延びて来ました。
その際に家来だった「尾瀬中納言藤原頼実」が病死し、
亡骸を埋葬した塚は「尾瀬塚」と呼ばれています。
その尾瀬塚は尾瀬沼のシンボル的な存在である三本カラマツの
下のこんもりと盛り上がっている所がであると言われています。
この頃は「中沼山」と呼ばれていましたが、
いつしか「尾瀬沼」と名がついたそうです。
この他、様々な伝説や歴史の話が多くありますが、
今日の雨のように長々語ってしまうのも勿体ないので、
またブログや尾瀬沼ビジターセンターで
開催されるイベントの合間に語り継ぎたいと思います。
そして、新型コロナウィルスがいち早く収束することを願いながら、
皆様が尾瀬に訪れる日を心から楽しみにお待ちしております。
*葉・葉柄・花柄に毛があるものを「チシマザクラ」、毛がないものを「ミネザクラ」と見分けがつきます。
しかし、チシマザクラはミネザクラの変種であり、交雑することもあるため見分けが大変難しくなっております。
最後に、尾瀬沼は、まだ朝夕の冷え込みがあります。
防寒着や、急な天候の崩れに備えた雨具の装備などを忘れずに準備して下さい。
なお、体調に不安がある方や、自ら安全確保を行うことが難しい方の
尾瀬への入山は控えて下さい。
くれぐれも冷静な判断をお願いいたします。
尾瀬沼ビジターセンター