秘話 その12

「山小屋は魅力がたっぷり」※2015年4月時点の情報です

見晴地区では6件の山小屋が営業していて、いずれの山小屋も個性的です。そんな見晴で、尾瀬ならではの暖かさを大切に山小屋を営んできた燧小屋の平野昌弘さんに、お話を伺いました。
燧小屋

平野 昌弘 Hirano Masahiro

大津岐・砂子から尾瀬へ

建築中の燧小屋(昭和30年頃)
「祖父・與三郎(よさぶろう)は、開墾のため大津岐・砂子に入植していましたが、魚釣りや猟をするために尾瀬に入ったようです。夏の間はイワナ釣りをし、釣った魚を干して、檜枝岐村内や、既に山小屋をはじめていた長蔵小屋さんに売っていました。また、冬は猟師として熊やカモシカを捕っていました。その頃は、小さな小屋を建てて住んでいて、まだ人を宿泊させるための小屋ではなく、自分たちが住むための小屋だったようです」と、明るい春の光が部屋に差し込む燧小屋で、平野さんは当時の様子を思い出しながら、ゆっくり話はじめてくれました。 「祖父は山小屋の建築を昭和30年頃に始めましたが、材料の木材を周辺の山から切り出すため、当時は山小屋を建築するのはとても大変だったようです。移動製材と呼ばれる方々や住み込みの大工さんなどの協力を得ながら、ようやく完成したのは昭和32年のことでした。当時は馬方さんなどに生活物資を運んでもらっていましたが、物資が不足することも多く、祖父たちも七入から物資を背負って見晴に上がってきていました」と、山小屋の建築当時の苦労を話してくれました。

変わらない山小屋のよさ

現在の燧小屋 (コバ板の屋根など山小屋のよき雰囲気が残っている)
「私が小屋主になったのは、平成7年からですが、今も昔も変わらない山小屋のよさがあります。最近の宿泊者は個室希望をされる方が多くなってきましたが、相部屋を希望される方もまだまだいらっしゃいます。尾瀬での人との出会いを楽しみにしているのでしょう。山小屋はそういうふれあいができる場所だと思います」そして、変わらない山小屋のよさを象徴する話をしてくれました。 「昭和40代は宿泊者がとても多く、脱衣所や屋根裏部屋などにも宿泊してもらっていました。その頃のよき思い出を頼りに、今でも屋根裏部屋で寝かせてほしいという方もいらっしゃいます。当然、今は寝てもらうことはありませんが、当時と変わらないものに思いをよせていただけているのでしょう。建物や人、山小屋には昔と変わらないものがたくさんあります。時代が変っても、変わることなく残ってきた山小屋のよさを多くの方に味わってほしいと思います」

尾瀬の好きなところ

長い間、尾瀬を見つめてきた平野さんに、尾瀬の好きなところを伺いました。 「普段、入下山で利用している燧裏林道です。特に、これからの新緑の時期と紅葉の時期が大好きです。結構アップダウンがありますが、樹木に囲まれての山歩きはゆったりした気分になり楽しいですよ。最近は、魚沼ルートで尾瀬にアクセスするお客さんが増えたということですが、御池から燧裏林道を歩き見晴まで来る方も多く、皆さんに喜ばれているコースです」他にも、尾瀬にはたくさんのよいところがあると話す平野さん。そんな尾瀬をゆったり、ケガなく楽しむためにも、平日利用や宿泊を含む計画をオススメいただきました。
燧小屋 データ
問い合わせ先 : 090-9749-1319 Website : 尾瀬の隠れ家 燧小屋(ひうちごや)
小屋前の平野さんご夫妻