秘話 その2

「多忙な山小屋主が見つけた尾瀬の魅力」※2015年4月時点の情報です

子どもの頃から尾瀬で育った星さん。 そんな星さんが「我が目を疑った」という尾瀬の美しさはどんなものだったのでしょうか。
温泉小屋

星 公雄 Kimio Hoshi

小屋主に守られて75年

尾瀬でも数少ない「温泉(硫酸塩冷鉱泉)」のお風呂
約24度の温泉は ボイラーでいったん湧かしてからお風呂へ
「温泉小屋は昭和7年に、私の祖父・星段吉が始めた小屋なんだ」まだストーブの焚かれた6月中旬の談話室で、2代目の温泉小屋主人・星公雄さんが話してくれた。 「もともとこの温泉小屋は、長蔵小屋の初代・平野長蔵氏が建てたものだったが、長蔵爺が長蔵小屋の仕事で忙しくなってくると、温泉小屋の仕事を親戚だった段吉に譲ったんだ。尾瀬では珍しく温泉の湧き出る小屋だったから、他人に譲るのは惜しかったんだろう」と星さん。 「私の家には古い宿帳が残されていて、内容を調べると開業当時の宿泊客は50人くらいだったらしい。夏の時期だけだったみたいだ。それでも私の祖父母は、小屋から燧裏林道に直接抜ける道を開拓したり(現在の段吉新道)、厳しい冬に檜枝岐から除雪に来たり、この小屋を大切に守ってきたようだな。」

家族に支えられた小屋の仕事

星さんが見つめてきた小屋からの眺め
小屋の看板からも暖かみを感じる
そんな長い歴史を持つ温泉小屋と星さんの関わりについて尋ねてみた。 「私が檜枝岐村で生まれたのは昭和13年。幼い頃の大半は、尾瀬と温泉小屋で過ごした。登山が好きで、学生の時から至仏山や燧ヶ岳によく登ったものだ。当時から足が強いのが自慢で、競って山登りをしていた。今でも小屋から御池まで2時間で歩く自信があるよ」 まだ登山者の少なかった頃を思い出深そうに話す。しかし星さんが小屋の仕事を任されるようになった昭和35年頃には、尾瀬の様子が一変したという。 「ほとんど人の来なかったミズバショウ時期に、たくさんの登山者が来るようになった。小屋の宿泊客の半分はミズバショウ時期に集中したんだ。」 「昭和37年に結婚し、子どもが小学校に通い出した昭和45年頃が、忙しさのピークだった。子どもに会いたいけど、小屋業が忙しいから休めない。だから小学校の夏休みが待ち遠しくてね、子どもと休憩時間に尾瀬ヶ原を散歩することが本当にうれしかった」多忙な毎日を送る星さんを支え、癒してくれたのは家族であったようだ。
我が目を疑った尾瀬の美しさ
アヤメ平周辺の紅葉のようす 50年近くも温泉小屋の主人として小屋を守り、来訪者を迎えてきた星さんも、今から6年程前に息子の公一さんへ小屋を譲った。 「まだ名義は私のものだけど、この間、テレビの取材で息子が自分の事を小屋主だと言った。その気持ちがうれしかったですね」と語る。小屋の営業から一歩退くことになったが、再び始めたのが尾瀬歩きだったという。 「実は私の奥さんも山好きでね。だけど時間を競って登るなんて事はしないで、ゆっくりと歩き、風景や花を見て楽しむ山登りだった。私も時間にゆとりが出来たし、そんな登り方をやってみようかなと。」そうして訪れた紅葉シーズンのアヤメ平で、尾瀬で育った星さんが驚きの発見をした。 「これほど美しい場所だったかと我が目を疑いました。歩き慣れた燧裏林道の紅葉も綺麗だけど、アヤメ平は尾瀬一番だった。その時、自分の気持ちにゆとりを持って歩かなくては、本当の尾瀬の良さは分からないという事を痛感した。」小屋の事を気にかけながら、先を急ぐように歩いた尾瀬歩きから、時間をかけて歩く尾瀬歩きへと変わった結果の発見だったという。そんな心境の変化があった星さんに、尾瀬を訪れる方へのメッセージを伺った。 「昔の尾瀬のお客と比べて、今は花を見に来る方が多くなった。花が主役の尾瀬では良いことだ。だけど花をもっとゆっくり見て、感じないと尾瀬の良さは分からない。私が言うんだから間違いないよ」 人間味あふれるコメントには実体験と、尾瀬を愛する気持ちが感じられた。
温泉小屋 データ
問い合わせ先 : 080-6601-3394 Website : 尾瀬温泉小屋