尾瀬泥炭8000年の歴史(尾瀬ヶ原の厚さを知ってますか?)

解説

 尾瀬ヶ原は一面ミズゴケで覆われ、その表面は触ってみると柔らかいことが分かります。

 この湿原は一体どれだけの厚さがあるのでしょう?

 湿原の厚さとは泥炭(層)の厚さを表しています。

 ミズゴケで覆われている部分は表面のわずか数cmしかなく、その下は堅く締まった泥炭なのです。

 低温・過湿な環境下では、枯死した植物が完全に分解されずに泥炭となって積み重なります。

 ボーリング孔や井戸(ピット=竪穴)を掘って調べた結果、尾瀬ヶ原の中央部ではおおよそ4.5~5mの泥炭が堆積していることが分かりました。

■雪解け直後の湿原。よく見ると植物が積み重なり、その下に泥炭があることがわかる

 泥炭にはさまざまなものが挟み込まれたり含まれたりしています。

 例えばその時代に育っていた樹木の破片、遠くから飛んできた火山灰や軽石(火山噴出物=テフラといいます)、まわりの山々から飛散した樹木の花粉などです。

 中田代のあるボーリング孔では11枚ものテフラが見分けられ、一部は浅間山や榛名山、また遠く九州から飛んできた噴出物と特定され、その層の年代が分かりました。

 また放射性炭素年代測定法によっても年代が判明し、これらの事から泥炭の積み重なる早さは年間0.7~0.8mmと推定され、尾瀬ヶ原は場所によって違うものの、おおよそ8千年前ころから泥炭が積み重なり始めたと考えられています。

 群馬県立自然史博物館には、調査で取り出された泥炭の標本が展示してありますので、そちらも見てみてください。