歴史ある街道から見える尾瀬(尾瀬の自然が注目される前の、日本の歴史と尾瀬との関わり - 会津沼田街道と大江湿原

解説

 沼田市と会津若松市を結ぶ道を、群馬側では会津街道、福島側では沼田街道と呼びました。

 この街道は沼田城から尾瀬沼を経て鶴ヶ城へ至る約180kmの道のりです。

 この街道の起源は不明ですが、永禄年間(1558~1570)には名前の記載があり、慶長5(1600)年には、沼田城主真田信幸が戸倉に関所を設けました。

 また檜枝岐村にも関所が設けられ、街道を通る人々の改めを行ったとの記述があります。

 尾瀬沼の湖畔(現在の尾瀬沼東岸か三平下付近)には交易所があったと考えられています。

 また幕末には大江湿原に会津軍が駐留し、慶応4(1868)年に会津軍と征東軍は戸倉で会戦しています。

 大江湿原で駐留した際に築いた土塁が今でも湿原に残されています。

 当時の街道の面影を残すのは沼山峠から七入へ下る登山道で、道行沢の清流を縫うように気持ちよく歩くことが出来ます。

■大清水から尾瀬沼を抜け、沼山峠へと至る道は尾瀬でも歴史ある道のひとつ

◆動画による紹介(クリックすると表示されます)