秘話 その3

「この仕事が好きだから、人の輪をもっと広げたい」※渋沢温泉小屋は現在営業しておりません

尾瀬の湿原から離れた、小沢平の深い森の中に建つ「渋沢温泉小屋(しぼさわおんせんごや)」。 「山」と「人」が好きだから小屋を続けているという星さんにお話を伺った。
渋沢温泉小屋

星 登 Noboru Hoshi

夫婦二人三脚で歩いた道

渋沢温泉小屋では星登・光子ご夫婦が いつでも温かく迎えてくれる
小沢平から渋沢沿いに 1時間ほど歩くと小屋に着く
尾瀬をイメージさせる湿原や池塘はここにはない。あるのは、小屋の名前にもなっているシボ沢の清冽な流れがこだまするブナやトチノキなどの落葉広葉樹の広がる深い森と40年以上山小屋をきりもりしてきた星 登・光子御夫妻のあたたかい笑顔と手料理である。 「最初の小屋を建てたのは昭和37年の秋で、現在の場所より渋沢の少し上流にありました。今の小屋は昭和48年からです。」まだ5時過ぎだというのに山々の早い夕暮れは早々に夜の帳をおろし、夕食後の静かな居間で御主人の星さんは語り始めた。 「その頃、小屋作りには風到木を使っていました。でも、小屋にとりかかる前にまず、道作りから始めたんです。当時はまだ燧裏林道の渋沢分岐から渋沢大滝に下る道がなかったので、雪のある時に木に印をつけておいて、昭和37年の春から、村の人にも数人来て貰って道を切り開いていきました。それから7月になってやっと小屋の材料などを運び始めました。」 七入・御池間の道路が開通するのは1年後の昭和38年だ。今のようにヘリで荷物を運ぶ時代でもない。 「御池までの道路がまだなかったので、当時は七入からモーカケの滝の尾根に出て、ブナ平、御池へとずっと山道を歩いていきました。荷を背負っていくわけですからそれはもう難儀でしたよ。」昔を思い出しながら当時の苦労話を話してくれるのは、横で相槌を打ちながら聞いていた奥様の光子さんだ。 「6畳ほどの簡単な幕営に必要最低限の生活道具で寝泊りしていました。雨の日も風の強い日もあって。七入に帰ればまだ小さい子供が駄々をこねて泣くは、体は疲れているは本当に限界でした。今思えば、よくやったなァと思います。」

山、人が好きだから続けられる

広葉樹の大木が育つ森の中に 渋沢温泉小屋が建っている
尾瀬唯一の露天風呂「せせらぎの湯」
渋沢の温泉は、当時ムササビ猟で山に入っていた星さんの父星三七さんが猟の途中で発見した。この場所に小屋を建てようと思った理由はという質問に、「桧枝岐ではまだ温泉が出ていなかったので、(温泉が出たのは昭和48年)湯の出るこの渋沢がとても魅力的な場所に見えたんです。」 「この仕事をいやだと思ったことはありませんね。山も好きだし、やっぱりそれ以上にお客様といろんな話ができるこの仕事が大好きなんですよ。」と、恥ずかしげに話す星さんの顔には人との出会いを楽しみにしている様子がしみじみと伺える。 「自分で言うのも何ですが、ここは本当に良い所だと思っています。尾瀬を思わせる湿原などはありませんが、渋沢周辺のブナの森はとても気持ちが良いし、特に紅葉の頃は素晴らしい。ああ、ここにいてよかったなァと毎年思いますよ。皆さんにもここの紅葉をぜひ見てもらいたい。」と話すのは光子さん。

元気の秘訣はお客様との会話

尾瀬の隠れ宿的存在の名にふさわしい渋沢温泉小屋だが、常連客以外でも一度は泊まってみたいと思っている人たちは多い。「こんな山奥にいてもお客様との会話でいろいろな情報交換ができて楽しい。例えば、私の趣味は御客様との縁で始めたものもあるんです。」面白いと思ったことは何でも取り組む光子さん。その手作りの会津木綿の花瓶敷きはここでしか買えないオリジナルだ。 「お客様と話しをすることで自分の世界が広がって心が生き生きしてくるんです。私たちのほうこそ御客様から元気をいただいています。」と顔を見合わせて語る御二人。 深山の一軒宿の魅力はどうやら場所的なことだけではなさそうだ。40年以上、この渋沢温泉小屋をきりもりしてきた御二人には、登山客を家庭的な温かさで迎え入れる空気が漂う。 10月中旬、渋沢は紅葉シーズンを迎え、森が黄金色に輝きだす頃。この秋、美味しい手料理を食べに、登さん・光子さん夫婦が待つ温かい渋沢温泉小屋に足を運んではいかがでしょうか。
渋沢温泉小屋 データ
※2023年7月現在、渋沢温泉小屋は営業しておりません